神様が大生命で、私が生命であります。神様と私は対立するものでも、別々のものでないことは言う迄もありません。それ故、「この願いが叶ったら、新しい社を建てます」とか「鳥居を建てます」という交換条件をつけなくては願いをきいていただけない、などというような水臭い関係ではな いのです。神と人間の関係は、まさに親子関係のように神の大きな愛情の中に在るのです。
では何故神は人間の願いを聞き入れてくれないのでしょうか?それは人間の願いか、全く利己的で、大生命的なもの、つまり全てを生かし合うものではない場合です。そして、「今その時」ではないという神様の判断があるからです。人間の眼と神様の眼、どちらが正しく、その人間の生長を、幸福を見ることかできるでしょうか?