神様は黙している、といっても、神が無反態な存在である、といっているのではない。
神は私達のような日本語や英語やアラビア語のような言語を使って、私達に話しかけることはないという意味だ。神は様々なメッセージを私達に送っている。神は無限の存在である。ただ私達が、その無限のメッセージを受けとれるか否かなのだ。
有限なる人間が、無限なる神の意志を知ることができるのか?私達人間が神の一部であるのならば、神の意志を知ることができる。
私達は神の一部か、神の別物なのか、そこで神の力を得れるか、得られないか違ってくるのだ。神棚は、たしかに外にある。しかし、これは象徴儀礼である。日本人の自己認識は、おもしろい。 家も会社も学校も自分が属していれば、ウチという。所有ではなく、自分のことだ。ウチに神棚がある。ウチに神様がいるということだ。