私はお守りについて、余り肯定的な意見を述べてきませんでした。神棚はお守りとは違います。或いはご神札はお守りとは違います。ただ持っているだけ、ただ所持しているだけではダメです。再三再四述べてきました。
持っているだけでは、ただのお守り、ただの気安めぐるいのことを主張してきました。
しかし私の友人であり、熱田神宮の神職である嬉野先生は、お守りとは、神様が、そこにいらっしゃることとして、行動すること。行動規範を示すものだ、といわれています。
たとえば、交通安全に成るのではなく、お守りという神様を所持して、或いは神様と一緒にどのような運転をすればよいのか?
神様をお乗せする運転が、どうすれば良いのか?どうすれば交通安全交通安全に通じるのか?
それがお守りの意義であるというのです。そうすると、商売繁盛とは、そのお守りを持っているから、商売繁盛するのではなく。