米は神様からの贈り物。それ故に神棚という神様の世界に、再び捧げる。そして、そのお供物を、私達が「お下り」としてそれをいただく。米は神と人の世界を交流し、生かし合うものなのだ。
昔から米を残すと、眼がつぶれるなどといわれた。米ができる迄に、お百姓さんは、八十八回の手間をかけるという。故に米という字を分解してみると、八、十、八。
お米を大切にしない人を「穀つぶし」という。お米が尊いのは、まさに一粒万倍。一粒の米から、稲穂が生じ、その稲穂にはどれほどのお米があるのか。それが一年、一年と経ってしまえば、まさに数年の内に何万倍にもなる。この生命力の強さ。そして主食という言葉がある通り、米は人々の生命を維持する故に、大切なもの、尊いものなのです。