お金のお札の由来は、ご神札に在る。お金が万能の力があるかのように思われるのは、神様の無限力を表現するお神札の力を、分け与えられているからです。
一万円札の主である福沢諭吉は、日本の近代合理主義思想の祖といわれています。彼はある意味では、無神論者です。しかし幕末から明治へ移行する日本社会にあって、民心が乱れている、というより日本の庶民達が、その時代の変化についていけていないことを理解していました。キリスト教でも仏教でも良い。人心を安定させたいという考えを持っていたのです。その愛の心は、日本国の最高紙幣である一万札の主らしいものでしょう。
お札の主は大切にしなくてはなりませぬ。しかし神仏を信じる主と、信じない主では、無限兆億円の神の力の分霊として、どちらが似合うでしょうか?